弘仁年間(810〜824)の南池院行幸の時、船楽のために作るといいます。
鷁首[げきす](鷁という水鳥の一種を船首に彫り込んだもの)に向かって奏したのでこの名が付けられたといいます。
現行曲の≪一曲≫の楽に用いられます。