会員の独り言



我こそ中年アスリート!

あることがきっかけで、このクラブに入ったのがちょうど10年前で既に37歳。
競技をやろうなどとは全く考えてなく、『せいぜい検定の2級ぐらい取れればいいかな』 程度のもので、クラブ員たちの「今度の大会のSLがどうの、GSがどうの・・・・・ 」とかいう話はさっぱり分からず、何やら凄い所に入ったもんだと思ってました。
SLとはスラロームの略で回転競技のこと、GSとはジャイアントスラロームの略で大回転競技のことだと知ったのは、随分後のことでした。(それ迄は蒸気機関車とグループサウンズのことだと思ってたのですから・・・・・ )

ところが、平成3年冬。 湾岸戦争が勃発した直後に僕の体の中でも何かが弾けたのです。

『プ~. ピッ ピッ ピッ ポ~ン!』 スタート合図の電子音と共に1旗門目のポールめがけて滑り出す! 頭の中は真っ白! 次々に目の前に飛び込んでくる赤のポール、青のポール! 音は全く聞こえない・・・・・。
この刺激! この快感! もう、たまらない ・・・・・・・・・・。

あれから10年。 中年アスリート 続けてます。

好きな言葉 『 まだまだ現役 』 (ちなみに ”動物占い”は黒ヒョウです。)

競技大好きオヤジ


SnowBombers'04 でスキーが上手な外科医から手術も出来るスーパースキーヤーに変身した男。

こじんまりした少人数のクラブには5つの派閥がある。

その1:競技系かっ飛び派
その2:基礎系教えたがり派
その3:わからん系何でも派
その4:極楽系宮様派
その5:ありがた系お助け派
俺は(1)にあこがれ全九州アルペン16位をピークに落ちこぼれ、(2)に活路を見出そうとしたが準指導員検定で落第。しばらく(3)に籍を置いたが持ち崩れ、今は(4)の幹部としてえらそうにしている。(5)に進むべきだとの意見もあるが人間的に問題が多いとの評価で見送られている。
まあ人間はどこかに居場所を見つけるもので、お気楽に居座っている極楽スキーヤーである。

エンジョイ大好きシニアおと~ちゃん


スキーは、とっても難しい~止まらない、廻らない。
アイスバーン、コブ、新雪、シャーベットの急斜面、中斜面、緩斜面のなんと状況変化の多い事か。
でも大丈夫。我がチームは、皆スペシャリスト、お陰様で少しは滑れる様になりました!?
スキー場でのルンペン〔管理者注釈:駐車場等の広場で皆で持ち寄った食料を囲み食事を取ること〕もとても楽しく、色々な人達との出逢いはチームのお陰。
夏はキャンプ、テニスと楽しい事盛り沢山。
チームメイトには、いつも感謝!感謝!感謝!

基礎系上達中です


幸か福岡?転勤レーサー!

数年前に東京から福岡に転勤したとき、これは自分にとってチャンスだと思った。
いままであまり縁の無かった九州に住むのは、どんな感じがするだろう。
今まで食べた事のない、美味しい食べ物。見た事の無い風景。初めて出会う人々。
食べた事の無いものを食べ、行ったことの無いところへ行ってみよう。そう思った。

勿論、良いことばかりではない。
東京はスキーに行くには大変便利なところだった。
上越、信越、中央道沿線、東北、・・・と選択肢が豊富。しかもいずれも日帰りが可能だし、数日ステイして楽しめる広いゲレンデがいくつもある。
スキーショップだってシーズンには一つの町が全部スキーショップになるほどある。

九州・福岡ではスキーなんかできっこない、と東京や北国の多くの人は思うだろう。
確かに、スキーをする環境としては、東京に比べれば不遇ではある。
が、少ないながらも九州内にもスキー場はあるし、ショップもある。
私もそれほど悲観的ではなかった。むしろ、これもまたチャンスと考えていたのだ。

東京では都連公認大会に年に数回参加していた。
しかし、東京はスキー環境が、まずまず良い上に、人口も多い。
また、スキー関連の会社やスポーツ関連の企業も多いので、必然的に選手の層も厚く、レベルも高い。
そんな中で、鳴かず飛ばずの中級レーサーとしての目標は、前年よりもポイントを上げて、翌年の国体予選を目指す事くらいが関の山。
(東京で予選に出るには前年のポイントで足切りがあります。)
同レベルの仲間達と勝った負けたで一喜一憂こそすれ、大会で上位に入るなんて、夢のまた夢。

それに比べれば福岡は、大会の規模とレベルが違うとは言え、頑張れば上位に入る可能性もあるし、国体予選だって、元ナショナルチームや元プロレーサーが相手ではない。
達成しようとする目標は具体的で、現実的でこそ意味がある。
つまり、目の前のニンジンが絵ではなく、小さいながらも本物ということだ。
そうなればスキーをする上でのモチベーションも違ってくるし、楽しさもまた一味違う。

福岡には福岡なりのスキーの楽しみ方があるということだ。

頑張る転勤族レーサー


今年2001年から、スキーを始めましたよー
今までスノーボードでしたよー
スキーも楽しいよー
クラブ最高よー
ま、こんな感じで 今まで5年間スノーボードしてました。
ある時、このクラブのメンバーの方と一緒に滑り(もち、自分スノーボード、相手スキー)に行きました。
そのとき、その方は、自分の前でクルクル廻るは、ジャンプするは、カービング、技のオンパレード!!
スキーって ”堅苦しい” のイメージがぶっとび、楽しそうジャンって感じで入会です。
いざやってみると(スキー)これがなかなか面白い、クラブの感じもそのまんま!
スキー滑走日数まだ数日、初心者ですけどね ウキキキー

直滑降オンリー元ボーダー


時に風になってるんじゃないかと思うくらい透明になって地球を蹴ってスキーをする。
蹴ったつもりが、時々蹴られてひっくり返りもするがそしたら青空と平行線。
フッと息つくと人生、ナンだかえらく得した気分になる。
青空の下、雪がかがやき、眼前に広大なスロープ…
足元に愛用のスキーがあれば、斜度に思わず足が武者震いしても、理屈じゃなくハッピー。
それでもって、スキーは一人ですべるものだけど絶対仲間がいたほうがいい。
感動を分かちあう仲間がいたほうがいい。
足引っ張りあう仲間がいたほうがいい。
ケチつけても互いに磨きをかける仲間がいたほうがいい。
スピードを競いあう仲間がいたほうがいい。
雪にじゃれ合う仲間がいたほうがいい。
温泉での~びのびする仲間がいたほうがいい。
ずっこけ宴会をする仲間がいたほうがいい。
そんなわけで…      SnowBombers'04 万歳

宮様スキー大好き派


インターネットでSnowBombers'04を知りミーティングに初参加したのは昨年の12月の事。
「どんな事をするんだろう…」 「クラブの人達について行けるんだろうか…」 「どんな人達がいるんだろう…」と色々な不安が駆け巡ったのは言うまでもありません。
ところがクラブの人達に実際会ってみるとそんな不安はアッと言う間に消え去ってしまいました。(何故?と思う方は是非体験して見て下さい)
今まで友達とスキーを楽しんでいた私でしたが、今シーズン友達がスキーに行けなくなった事がきっかけで一人でクラブヘ入会しました。
合宿で基礎から教えてもらったり、講習を受けたり、大会が有ったりと毎回楽しくてスキーの楽しさを新たに発見したと言う感じです。
それから何といってもスキーが上手な人達ばかりなので合宿時は私にとってスキースクール状態です。(合宿?と聞いて最初は地獄の特訓でも有るのかと思っていましたウサギ跳び100回とか…腹筋100回とか…)
最初は不安を胸に入会した私ですが、色々な体験と発見で言葉で表現するなら 「楽しくてどうしようもない(^o^)」 の一言ですね。
そんなこんなでシーズンは終わってしまいましたが今まで以上にスキーにハマってしまった私です(^^ゞ

スキーに目覚めたNEWフェイス


SnowBombers'04

 ラリーグラススキークラブ(現SnowBombers'04)、それは、当時、店にいた山根さんから始まった。
そもそもラリーグラスと小生の出会いは、高校の同級で山をやってる友達から店を教えてもらって、スキーを購入したことが最初である。
店も今の店舗の前の前の場所で、大名の裏通りで当時はまだ人通りの少ない所だった。
その後、結核予防会の向かい(一つ前の店舗)に移転したが、ここもまた二階の狭い所にあった。この店には大学の同級の三宅とよく一緒に行った。
ある時、店員の山根さん(福岡大学スキー部キャプテンOB、鳥取県米子出身)に『スキークラブをつくるけど一緒にせんね』と誘われた。
スキークラブとはカッコいい!と、三宅と2人入会した。1978年のことである。
クラブ員は浦(ラリーグラスの社長)、山根、西中、足立、沢本、本村、山口、手柴、坂本、三宅、緑川、川原(女性)、不破(女性)、安倍(女性)の14名だったと思う。
しかし、このクラブ創部は、山根さんが国体などの大会に出場するには福岡県連登録のクラブに所属しておかねばならないためと、後になって判明した。
創部の動機はまことに不純であるが、そのクラブが、もう30年活動していることは喜ばしいことである。
さらに、このホームページを開いたことにより、外部からの入会者が数名あり、クラブとしても活性化が起こっている。
とはいえ、小生も60歳となり、部員の平均年齢も上がってきた。
今後、若い会員(できれば)の入会と育成(されたりして?)により、益々の繁栄を期待するものである。

古参のつぶやき