トピックス

201505春季トレーニング01

2015/05 春季トレーニング


 天気に恵まれてテニスをしました
みんな日焼けして大変でした

201505会長宅で恒例のパーティ01

2015/05 会長宅で恒例のパーティ


 <メニュー>
 カナッペ各種、ローストビーフと定番オイルサーディン、
 スモークサーモン、日本酒、カヴァ、スイーツなど多数をを有志持ち込みで盛大に開催

20141110周年記念パーティー01

2014/11 スキークラブ10周年記念パーティー


 SnowBombers'04改名後10周年を迎え記念パーティーを行いました。
OBも迎え楽しいひと時を過ごしました。

201312会長還暦祝い01

2013/12 会長還暦祝い


 我がクラブの会長がめでたく還暦を迎えられました。
チャンチャンコに見立てたキャップとベストをまとい喜びの宴を楽しみました。

201303全九州4位入賞01

2013/03 全九州スキー選手権大会<クラブ対抗>


 女子総合4位を篠崎章子が入賞いたしました。
めでたい、おめでと!

2012/05 クラブOB会を開催しました


 5月19日(土)にラリーグラススキークラブOB会が福新楼にて19時から開催された。
懐かしい面々が集まった。現役は緑川と篠崎正人、篠崎章子、渋田の4名。
OBは川原、不破、安倍、三宅、真鍋、尾形、梶原信二、古賀、野入の8名。遅れて山根の参加で9名。
 話はやっぱり昔のこと。話がつきず、2次会にいくことになった。
1次会終了後、原口が間に合い、総勢15名にもなった。
 2次会は中洲の『ヴオーノm』に全員参加した。
バーボンウイスキーのキープを1本入れたが、すぐなくなって、もう1本キープした。
23時半にお開きとなったが、あと、個人的に締めをした人もいるような?
随分会ってない面々もいたが、会ってみると昔と変わってなかったなあ。
また、スキーに行きたいねとか、キャンプに行こうとかいう話になっていた。

緑川孝二

201204新チームウェア01

2012/04 新チームウェアが決定しました


総会での決議により新チームウェアをMizumo A50MM422 ライム(右記写真)に決定しました
発注を済ませ、納品を待ち望んでいます
これからは Richard Berger に成りきります

200803クラブLogo01

2008/03 クラブLogo


クラブのLogoが決まりました
ユニフォームへ縫い付けます

2004/04 クラブ名称の変更


4月に開催されたクラブ総会においてクラブ名称変更が議決されました。

 ラリーグラススキークラブ → SnowBombers’04



新会名に向けて

 このたび、Snow Bombers‘04の新会長を仰せつかりました緑川孝二です。
ラリーグラススキークラブは平成16年4月11日をもちまして、クラブの名称を変更し、『Snow Bombers‘04(スノーボンバーズゼロヨン)』となりました。
また、役員改選と事務局の移転を行いました。
役員は以下のごとくとし、新たに事務局長を任命しました。
旧ラリーグラススキークラブと同様に、今後ともよろしくお願い申し上げます。

新役員)
会 長 :緑川 孝二
副会長 :篠崎 正人
理 事 :在国時 剣一、大津 英治
事務局長:篠崎 章子
総 務 :渋田 由美、長 正浩
会 計 :堀内 通雄

200403ルスツ01

2004/03 創部25周年記念ツアー〔ルスツ〕


3/26~28ルスツでの1ショット

200305春テニス01

2003/05 春テニス



200205立山春スキー01

2002/05 立山春スキー


ゴールデンウィーク5月3~6日 富山県の立山に久しぶりに行きました。
立山三山(雄山・浄土山・別山)をはじめ、大日連山や天狗岳など3000m級の山々に囲まれている室堂から少し離れた雷鳥沢に宿を確保し、別山乗越を越え剱沢へ、槍・穂高が望める一ノ越へと山スキーを満喫しました。
数時間かけて登頂し壮大な眺望の中、数分でダイナミックに滑り降りる爽快感、ゲレンデスキーと違い一本一本の重みを感じつつ有意義な毎日でした。

2002/04 志賀高原・熊の湯 試乗会&デモレッスン


4月27~30日 クラブから3名が参加しました。
来年モデルの試乗をしながら、各メーカー所属のデモやコーチからワンポイントレッスンが受けられるという楽しいツアーです。
早朝ポールレッスンもあり、引退を表明したばかりの平澤岳選手、我満嘉治、山田卓也、若月新一といったデモのレッスンを受けたり、夜は抽選会で盛り上がったり、と中身の濃い3日間でした。
ここ数年競技の滑りしか頭に無かった私ですが、たまには基礎のレッスンも視点こそ違うものの、本質的には共通点が多く大変参考になりました。
往復のドライブもラリーカー(Rallyglassのワンボックスカー)のお陰でチョー快適。
ショップの木村さん、お世話になりました。

2002/03 全九州アルペンスキー競技大会(SL)


クラブから2名が参加しました。
今回はクラブで来年モデルの試乗用スキーをいくつかのメーカーから借りてきていて、ちょっとした試乗会ができました。
で、折角だからと、私はF社のSLの板(モチロン来期モデル!)をお借りして、いきなり大会に・・・・
ま、どうせSLはここ数年ろくに練習もしていないことだし、何やっても一緒!
と、おもいきや・・・さすが、前評判の良さは本当でした。
非常に扱いやすく、ターン前半の捉え、安定性も良く、完成度の高い一品。
こりゃ、SLも楽しかバイ!と思ってしまった1日でした。

2002/02 クラブ合宿レポート


今期新人さんがシーズン数回行っている合宿のある一日をレポートしてくれました。

去年暮れに入会して以来、今回で、はや3回目の合宿。
過去2回の合宿では、チョ~キビシイ特訓?により、カービングスキー初心者の私でも華麗なシュプール(1ターンのみ)を描けるようになりました。
今回の合宿では、天気が良すぎて雪のコンディションが悪かったため、フリースキー(まあとりあえずガンガン滑べろうよ。という感じ)が、中心のメニューとなりましたが、みんなの板を交換して滑ったり、来シーズンモデルの板を試乗したりして、いろんなスキーの性能を確かめることができ、たいへん勉強(もちろんスキーの良し悪しはよく分かりません。カービングスキー初心者なので…)になりました。
また今回は、呑兵衛な方々(諸先輩方に失礼なことを!)の参加が少なかったため、アフタースキーでは、温泉(すいません。温泉施設の名前を忘れました。~の里でしたっけ?)を満喫できました。(ひとりは酔いつぶれて寝てましたが…)
スキー歴10年(しかし年5日程度なのでスキー歴50日)ですが、今までの滑り方は、「私をスキーにつれてって」時代のものでした。カービングスキーとなると、それまでとは全く違うものなので(なんと滑り方に「流行り廃り」があるらしい)、やはり上級者と一緒に滑れる合宿はとても有意義なものです。
これからも、超チョ~キビシイ特訓(笑)に耐え、もっと上手く滑れるように、またクルクル回れるようになりたいと思います。(その前にいろんなスキー用語を覚えないと。プルークとか、カントとか…)

2002/02 基礎検定にチャレンジ


今年は2名の会員が検定にトライし、SAJ1級および2級を取得しました。

『一級合格とスキー半生を振り返り』

梅雨の便りが南の島から届く頃やっとシーズンを振り返れる時間が持てました。
今シーズンも週末は雪山の人と成り、やはり20日以上の行脚を繰り返しました。
思い起こせば二十歳半ばにしてスキーを始めた私にとってスキーに嵌ったとか魅入られたとかそう言う感情よりも日本経済がバブル景気に突入しようと言う時代、我ら企業戦士のわずかなショートトリップとコンクリートジャングルからの逃避でありました。
そんな私がシーズン20日以上滑り込むようになったのは転勤で香川から広島に移った事が大きく、毎週たとえ一人であっても通える環境の良さとスキー場も県内、大小15ヶ所以上のゲレンデに加えほとんど近くに温泉が有り、滑っては凍えた身体を温泉に浸しスキー場の駐車場で仮眠をむさぼるスキー天国の地で悠久の時間を楽しむようになりました。
しかしスキーを始めて何年もの間スキースクールを毛嫌いし、楽しく雪と戯れる事を本来の自分のスキーとしていた私の信念に突如、たまたま気があった仲間とゲレンデに行った時その知人は基礎検定を目指しているとの事、私に取ってバッチテストは遠く雪深い信州や北陸、北海道の話しでしかなく、そんな物は子供の頃から靴より先に板を履いた人しか取らない、取れない物だと思っていた私にとって、知人の一言はカルチャーショックと共に生涯スポーツとしてスキーを捕えるには絶好の自分に対しての言い訳でした。
また都合よく指導員の先生と共にご一緒出来る機会がありシーズン40日以上滑り、翌年に一度落ちはしたものの二度目には晴れて二級に合格、私に基礎スキーの楽しさを教えてくれた知人よりひと足早くバッチを手に入れました。
初代デモンストレーターの平沢文雄氏も著書の中で「スキーの上達の近道は自分の師匠を見つける事が最大の近道だ」と述べておられます。
今シーズン初めてクラブに入り良き指導者を得られた事が最高の喜びでした。
前述したようにけっして基礎スキー上達だけがスキーの楽しさでないと思いますが生涯スポーツとして捕える時、基礎を身につけることはケガの予防にも繋がり年齢を重ねても続けられる基本が出来ると思います。
また今シーズン一級に昇格しましたがすべては学び事多きこのスポーツの中で個人の上達に快くゲレンデにて自分の滑る時間を割いてご指導頂いた先輩に感謝する所が多かったと思います。
再度の転勤で広島から福岡へ引越し距離こそ遠くなりましたが、その分一回の山行で多くのことを学び、新たに挑戦する人の手助けが出来れば幸いです。
良き先輩や良き仲間に回り逢えた縁を大切にこの素晴らしい白銀の世界をより多くの人達と共用しその輪を広げて行きたいと思います。


『私の2級合格物語』

クラブへ入会するまで検定を受けようなんて考えた事もなかった私が、入会した年に何を血迷ったのか2級検定に初挑戦!
しかし、クラブへ入会するまできちんと基礎を教わったこともなく、ただ々友達とスキーを楽しんでいた私。もちろん結果は不合格!!
今思えば当然の結果でしたが、今まで何をやっていたんだろうと深く反省。
そして2度目は必ず合格したい!と私の中で熱くなって行くのを感じながらも、クラブで教わる度に、自分には全く基礎が出来ていないと思い知らされ、その年のシーズンは終わってしまいました(>_<)
思い知らされたまま春・夏・秋と季節は巡り、またまたスキーシーズンがやって来ました。
そして2度の不合格は許されないと(勝手に)思った私は、年末年始にかけクラブの人達と共に長野へ強化合宿に行ったのでした。
合宿初日軽~く基礎練習…のはずが、何度やっても私には出来ず、初日から落ちこぼれる始末。2日目はポールへ入りボロボロ。
その後、コーチから別メニューを与えられ一人で基礎練習をすることに…
練習をしているうちに、どうして出来ないのだろうと情けなくなり、気が付けば情けなさの余り涙が出てきておりました(T_T)
そんな中、クラブの人が、私が何を理解出来ていないのか気付いてくれ、その夜、部屋で私に熱心なイメージトレーニングをしてくれたのでした。
これが私に効果有り! 翌日、少~し滑りが変わったことに自分でもなんとなく気付きましたが、コーチに良くなったと言われたときには嬉しいと言うよりも、こう言う事だったのかぁと少し理解出来た自分にホッとした感じでした。…こんな感じで私のスキーシーズンはスタート。
福岡へ戻ってからもクラブ合宿の度に色々と特訓してもらう日々が続き、いよいよ2度目の検定に挑戦する日がやって来ました!
そして緊張の中、検定は終了。
ん~どうかなぁ…と言う思いで検定を終えていた私は合格発表までの間、また不合格だったらどうしよう…特訓してくれたクラブの人達にも申し訳ないと(またまた勝手に)プレッシャーを感じておりました。
勝手にいろんな事を考えているうちに、いよいよ合格発表の時が…
ドキドキしながら自分の番号を確認しようとした時、一緒に検定を受けた人が『合格してたね!良かったね!』と喜びの声を掛けてくれましたが、本当?!と半信半疑。
自分の目で番号を確認しなければ!と恐る々目を向けると…
本当に自分の番号が有りました! 『合格!』
初挑戦から長~い道のりでしたが、私はクラブの暖かい支援と指導のもと、2002年2月、2度目にして2級のバッヂを手にする事ができたのでした^_^;

2002/01 残念ながら冬季国体代表は出ませんでした


「来年がんばります。」と本人は申しておりました。


200201チームウェア新調01

2002/01 チームウェアを新調しました


今年より、スキーウェアを一新しました。
イエローのジャケットとグレーのパンツの組み合わせです。
シンプルで飽きのこないデザインで好評です。

2001/03 全九州クラブ対抗 女子チーム6位


昨年に続き女性チームが6位入賞しました。
今回は前年よりレベルアップして臨んだ大会で次7位とは差を広げ確実性を増しました。
が! 上位との差は縮まったが、まだ追いつくまでに至ってません。
次シーズンはさらに目標を高めパワーアップして行きます。
期待してて下さい!!

2001/02 2年連続で冬季国体に出場しました


第56回かいじきらめき国体・ながの飯山国体の男子大回転(成年男子C)が2月20日に行われ、中山圭三氏は無事完走しました。

<本人談>
第56回国民体育大会冬季大会スキー競技会・ながの飯山国体に行ってきました。
開会式では皇太子・妃両殿下をお迎えし、田中康夫知事の開会宣言。
長野県選手団の上村愛子選手は、各県選手からの記念写真攻撃にも笑顔で答えていました。

さて、競技。コースは成年男子ABと少年男子が約1400m、成年男子Cと女子は少し下がったところから約1000mのコースで、スタート直後が31度の急斜面。結構ビビリます。その下は長い中・緩斜面という構成。

競技初日の男子ABではセットも厳しかったのですが、気温も上がって、雪が緩み、コースの外に溜まった雪につっこんじゃぁ、はいさようなら~、と急斜面でブッ飛んじゃう選手が続出。

翌日のCと女子のコースは急斜面の入口からのスタートでもあり、セットもそれほど厳しくはなかったのですが、やはり気温が上がり、スタート順が遅くなると、もうコースはそこいらじゅうが穴だらけ。
急斜面ではみんな多少なりともずらして落ちていくので、それほどでもなかったのですが、中緩斜面にはいると、『ここからが勝負!』と皆バリバリにカービングしていくので、ポールの横が掘れまくり。

まあ、長野とは言え、標高の低いスキー場でスタート順も遅いことは予め分かっていたので、ある程度覚悟はしていましたが、さえない結果に終わってしまいました。


<記録>
戸狩ラビットコース(旗門数33 標高差271m 雪質ソフト)

1位 204 古川昇  北海道  54”21
2位 209 渡辺一樹 長野   54”39
3位 202 原田達也 東京   54”48
4位 215 五藤伯文 東京   54”94
5位 203 榎並雪彦 群馬   55”09
6位 207 木村邦裕 福島   55”11

73位 253 小田聖司 福岡 1’01”41
79位 283 中山圭三 福岡 1’03”32
90位 294 西井章裕 福岡 1’07”35

来年は新潟・妙高です。

2001/01 2年連続で冬季国体代表がクラブより選ばれました


1月8日~10日に福岡県国体予選が行われ全体で9位(C組2位)の好成績で中山圭三氏が福岡県代表に選ばれました。
体調不良で臨んだ予選会だったそうですが、それにしても良い結果が出せるとは日頃の鍛錬の成果なんでしょうね。
国体での健闘を祈ります。

200003創部20周年記念ツアー01

2000/03 創部20周年記念ツアー〔Mt.レースイ〕


お陰様でラリーグラススキークラブが1999年10月で創部20周年を迎えました。
で記念行事の一環として北海道Mt.レースイに3泊4日のツアーを敢行しました。
※スナップショットのページにスナップを載せています。宜しかったらご覧になって下さい。

2000/03 全九州クラブ対抗 女子チーム6位


女性3人でエントリしたが、当日どうしても都合がつかず1人がDSで臨んだ大会だったが何とDSのペナルティーにも関わらず6位を取ってしまいました。
何はともあれ、おめでとう!!

200002国体出場01

2000/02 クラブより冬季国体出場者が出ました


富山国体で疾走中の勇姿。

<本人談>

この写真、勤務先の社内報にも載ったのですが、ある女子社員曰く、「ビックリしました。さすがですね、プロカメラマン。いいところ撮りますね。」
私も同感・・・。そう言えば、うちのクラブにもプロカメラマンがいましたっけ?。