☆大家さん☆

私たちが北海道に越してきて初めて住んだ家の家主さんつまり大家さん。ちょうど3年前に出会った。
不動産屋さんを介しての紹介で、親戚や知り合いでもなく赤の他人だったけど、ご夫婦ともにいい方でいつのまにか、“お父さん”“お母さん”と呼ぶようになった。

大家さん夫婦も私たちを息子や娘のようにかわいがってくれた。北海道の生活を知らない私たちに色んなことを教えてくれた。
1週間に最低1回は会ってたと思う。それは私たちが今年引っ越して家主と借主という関係でなくなっても続いていた。
ごはんをご馳走になったことは数えきれず・・。近場の温泉の日帰り入浴にもよく行ったし、休みの日には4人で遠くに出かけたりもした。
自分の親でもなく、夫の親でもなく、実でも義理の親子でもないけれど、逆にその関係が楽だったのかもしれない。
特にお父さんは頼りになる人で、わからないこととか悩むことがあったら相談に行っていた。
話上手で話題も豊富な人なので、家で晩御飯食べたあと、「ちょっとお父さんとこ行くか!」と夜8時ごろとかに遊びに行ったこともある。別に他愛もない話をして帰ってくるのだけど・・。

そのお父さんが亡くなった・・。

7月30日の夜、自宅で倒れてそのとき心停止になり、救急車を呼んで心臓は再び動きだしたものの、その間10分15分経過していて脳に酸素がおくられなくなり脳死状態になった。
私たちには翌日朝6時前にお母さんから連絡があり、病院に向かった。
ICUの中で酸素を送る機械をつけられているお父さんと面会したけど、意識はなくただ心臓が動いているだけの状態。目も開かないし動かない。

お父さんは糖尿病だった。合併症もでており、視力も悪く、腎臓も悪くなって1ヶ月半ほどまえから人工透析もはじまっていた。
糖尿病から腎臓が悪くなり、人工透析を開始した人の生存年数は5年が平均らしい。
夫のお父さんも同じ病気で透析を始めて5年目に亡くなった。
変な話、そういう知識もあったのでお父さんも危ないかもしれない・・とは思っていた。
実際、出会ったころより年々体力が落ちてきているのは感じていた。

でもまさかこんなに早く、突然にいなくなるとは思ってもいなかったのでショックは大きい。
倒れてから遠方に住む息子さんや娘さん家族が来て交代で病院に泊まりこんでおり、私たちも何回か面会に行ったけど、状態は悪化する一方で8月4日にとうとう息をひきとった。
倒れた日の3日前に会ったのが最後になってしまった。

お通夜、告別式を終え、他人の私たちもお骨拾いにまで行かせてもらった。
骨まで見たのに、まだ信じられず、家に行けば「おぅ、娘が来た」と出迎えてくれそうな気がする。
色々思い出すたび胸がしめつけられるようでつらい。

こんなにつらい思いをするなら、あんなに仲良くならなければよかったかなとも思ったけど、お父さんに出会えたことは私たちにとってはすごく幸せなことでした。