真宗で用いるお経は「浄土三部経」といわれる
『佛説無量寿経』
『佛説観無量寿経』
『佛説阿弥陀経』の3つだけです。
この他のお経は一切唱えません。
これらは阿弥陀さまのいわれや極楽浄土の美しさを述べたものです。
その他に親鸞聖人による『正信偈』と『和讃』を用いますが、
これらは阿弥陀さまのいわれと、それを伝えてこられたお釋迦さまや七人の高僧たちの教えを述べたものでお経ではありません。
『和讃』は七五調四句の和文で作られており、御家流と呼ばれる佛光寺派独自の節回しで唱えられます。
また念仏「南無阿弥陀仏」は『阿弥陀さまを信じ帰依します』という意味で佛光寺派では「ナマンダブ」と発音します。
「南無」とは梵語(古代インド語)の『namas』を音写したもので、敬う・心から信じるなどを意味します。
「ナマステ」という挨拶の言葉がありますがこれは「namas」が語源です。
聖人は『親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまださふらはず〜歎異抄 第五条〜』と言っています。
「追善供養のために念仏したことはない、念仏が自力で努める善であるなら、その功徳によって父母をも救うだろうが、念仏はそのようなものではない」と言っているのです。
このように真宗のお勤めは故人の追善供養や徳を積んだり、祈祷などの呪術的なものではありません。
『阿弥陀さまのいわれを聞きその徳を讃え、成仏させて頂ける身であることへの感謝の気持ちを表す』そのためなのです。
これもよくドラマなどで神社の鈴や玄関の呼鈴のように鳴らす場面を見かけますが、それは間違いです。 リンは読経の始まりに音程をとったり進行を知らせる(さあ始めますよ/もうすぐ終わりです)役目があり、鳴らす場所と鳴らす回数が決められています。 まず読経の開始に2回打たれます。途中節目に1回打たれ、終わりに3回打たれます。 お経や正信偈・和讃をお勤めする場合に鳴らしますが、念仏や合掌だけする場合には決して鳴らしません。