日々それぞれの生活の中にあって親しい者が一堂に集まるのは大変難しいことです。しかし故人のための法要ともなれば「何とかして集まろう」となります。 故人のためと思ってせっせと集まってきて、本堂の宮殿 あるいは 自宅のお内仏を拝して浄土の様子を偲び、勤行によって阿弥陀さまのいわれを聞きます。 そして「故人も喜んでいることだろう、役目は果たした」などと満足します。 しかし、故人ためにと行っているこの法要さえも実は私たちに「この日ぐらいは仏法に親しみなさい」との故人の計らいなのです。 懐かしい人たちに会い、美味しいものを食べ楽しい時間を過ごしているのは私たちなのです。 法要をご縁に、心のよりどころとなる真宗に接する機会を与えてくれているのです。 このように法要は『「実は私たちのためであったのだ」と気づかせてもらう』そういう機会を得るためのものなのです。