ここまで見てきたように、私たちが真宗として行っていることの全ては『浄土の様子を偲び、阿弥陀さまのいわれを聞きその徳を讃え、成仏させて頂ける身であることへの感謝の気持ちを表す』そのためなのです。 そしてこれらの行いが、そうなるよう仕向けられていた『私たちへの計らい』であったことに気づかせてもらうのです。 この世にいる限り、煩悩(悪事)からは離れられないそれが人間というものです。 『たとえ悪いことをしても救う』というのは人間がそういう存在だからこそ『ありのままで救う』と言って下さっているのです。 『絶対他力の本願』の教えとは阿弥陀さまをあてにして怠けることではなく、阿弥陀さまの計らい(本願)を知り、己の愚かさに気づき、信じて心のよりどころとすることなのです。