京都市下京区の「渋谷山佛光寺」を本山とする真宗十派の内の一つです。 越後配流の後、京都に帰られた親鸞聖人は山科の地に草庵を結び「興隆正法寺」の寺号を賜ります。この草庵が佛光寺の始まりと伝えられています。 その後、寺基を渋谷に移し、畳一枚ほどの大型の絹布の中央に「南无不可思議光如来」の名号を書き、その両側に阿弥陀仏・釋尊、印度・中国・日本の三国の高僧と聖徳太子の姿を描き、後方より光明が輝く『光明本尊』や、 歴代門主や僧侶・門徒の絵姿による『絵系図』を用いた視覚的な布教活動によって門徒を増やし、その教勢は本願寺を凌ぐ程であったといいます。 あるとき繁盛を妬む者によってご本尊が捨てられます。しかしその夜、後醍醐天皇のもとに夢のお告げがあり、光明を放ち自らの所在を示され発見されたといいます。 このことにより「阿弥陀佛光寺」の勅号を賜り、以降「佛光寺」と寺号を改めました。