ご本尊

阿弥陀如来像を中央に、向って右側に「南无不可思議光如来」の九字尊号、左側に「帰命尽十方无碍光如来」の十字尊号をお掛けします。両脇の尊号はどちらも阿弥陀さまを言い表しています。 真宗の阿弥陀さまは立像で、衆生救済のために立ち上がったお姿を表したもので、その両足はきっちりとそろえられています。 これは現世において往生が決定していることを示すもので、どちらか一方を踏み出す命終に来迎し往生させる姿と区別されています。 頭部より発せられた光明は四十八願に準えて48本あり、佛光寺派では上部に伸びる光明の数は7本で中央の1本が真直ぐに伸びています。 このお姿は「方便法身(ほうべんほっしん)」といわれ、 本来、色も形もない目に見えない清浄・真実のすがたを私たちに解りやすいように、形として現れてくださったものです。 真の阿弥陀さまは私たちの心の中に感ぜられるものです。ですから偶像崇拝的な意味はありませんし、そこに阿弥陀さまがやどるといったこともありません。 しかし目に見えたほうが解りやすいので絵像や名号、木像として配するのです。

「うそも方便」とはこの方便よりできた言葉です。


灯明

金色に輝く阿弥陀さまの姿を表すためにろうそくを灯します。また、阿弥陀さまの智慧のはたらきも象徴しています。


お香

浄土には池があり清らかな香りのする水が満たされているといいます。その様子を表すためにお香を焚きます。 また、広い本堂でわずかに焼香しても隅々まで香りが行き渡ります。ここに阿弥陀さまの願いが行き渡ることを象徴しています。

佛光寺派の焼香
  • まず焼香台の前に座り一礼します。
  • その後、香を額に押頂かず2回くべます。 (1回ではうまく香らないことがあるため)
  • 最後に合掌念仏し礼拝します。

浄土には青黄赤白の美しい花が咲き乱れているといいます。その様子を表すために花を供えます。 花は私たちの方に向って供えます。これは阿弥陀さまにお供えしているようで実は私たちに『枯れいく花を見ていのち(・・・)を知りなさい』とはたらきかけているのです。

蓮の花は汚れた泥池の中でしか育ちません。しかしその汚れた泥水に染まることなく美しい花を咲かせます。 蓮は仏さまゆかりの花とされますがこれは、煩悩(泥池)なくしては生きられない人間が、煩悩(泥池)があるが故に救われ浄土に生まれる(花を咲かせる)ということを表しているからです。 また真宗で用いる(しきみ)はその毒のある果実により「悪しき実」と呼ばれそれがしきみ(・・・)になったといわれます。 その葉や樹皮は香気があり線香や抹香の原料となります。毒の実を持ちながらも清らかな香りを放つ樒もまた同じことを表しています。


お仏飯

佛光寺派では上部を平らに筒型に盛り、浄土に咲く蓮の実の形を表しています。お供えしたお仏飯はお勤めの後頂きます。 普段あまりご飯を炊かない人でもお供えしなければと思うと炊くようになります。そうすると自然に温かいご飯を食べることになります。 これは阿弥陀さまにお供えしているようで実は私たちに『頂いているいのち(・・・)であることを知りなさい』とはたらきかけているのです。


お供え

命日などに故人の好物などをお供えしながら、実は私たちが頂いているのです。