お墓

すでに浄土に生まれている人たちの残したお骨は特に何の意味も持ちませんが、粗末にしないためにお墓に安置します。 しかしそこに思いがやどるなどということはありませんし、それらを祀るということでもありません。 親鸞聖人も『(それがし)閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし〜改邪鈔 第十六条〜』と言っています。 お墓に参るということは『故人を縁に阿弥陀さまのいわれを聞く』そういう機会を得るためなのです。