真と仮とは相対するものですが、真は初めから真ですのでこれ以上は真に成れないのです。
また、仮があるからこそ真が真であることが明らかになるのです。
よって仮こそが真と成りえる唯一の存在といえるのです。
阿弥陀さまの四十八願に次のものがあります。
この2つのお経は自力の行いを勧めながらも最後には、「観無量寿経」では念仏することを、「阿弥陀経」では生まれたいと願うことを説いており『方便経』と言います。 自力の行いを勧めることによってその限界を知らしめ、修行から念仏へ終にはただ信じる心へと至るように仕むけているのです。 「観無量寿経」(十九願)より始まり「阿弥陀経」(二十願)に至らしめ「無量寿経」(十八願)が真実であることを知らしめているのです。 仮があってこそ真実がはっきりする、そのためこの3つのお経を合わせて「浄土三部経」と名づけ真宗の聖典としているのです。