真と仮

真と仮とは相対するものですが、真は初めから真ですのでこれ以上は真に成れないのです。 また、仮があるからこそ真が真であることが明らかになるのです。 よって仮こそが真と成りえる唯一の存在といえるのです。

阿弥陀さまの四十八願に次のものがあります。

このそれぞれの願いを明らかにするためにお釋迦さまは、『佛説無量寿経』『佛説観無量寿経』『佛説阿弥陀経』を説きました。 「観無量寿経」は往生するために13の手順によって極楽浄土と阿弥陀さまを思い描きなさいと説きます。 そして修した善行の程度によって命終から浄土に生まれるまでの時間に差があると説きます。このお経は自力の修行を勧めるものです。 また、「阿弥陀経」は往生するためには念仏を唱えなさいと説きます。このお経は自力の念仏を勧めるものです。 『絶対他力の本願』を宗とする真宗においてこれらのお経がなぜ用いられているのでしょうか。


この2つのお経は自力の行いを勧めながらも最後には、「観無量寿経」では念仏することを、「阿弥陀経」では生まれたいと願うことを説いており『方便(ほうべん)経』と言います。 自力の行いを勧めることによってその限界を知らしめ、修行から念仏へ終にはただ信じる心へと至るように仕むけているのです。 「観無量寿経」(十九願)より始まり「阿弥陀経」(二十願)に至らしめ「無量寿経」(十八願)が真実であることを知らしめているのです。 仮があってこそ真実がはっきりする、そのためこの3つのお経を合わせて「浄土三部経」と名づけ真宗の聖典としているのです。


正・助・雑の三行
正・助・雑の三行