親鸞聖人(しんらんしょうにん)

はじめ天台宗の僧侶として比叡山で修行をしていた聖人は、自力の修行ではなかなか悟りの世界に到達できないと悩み山をおります。 その後、法然上人(ほうねんじょうにん)の元で浄土教を学びます。 世はまさに仏の教えが廃れる「末法」の時代。ただひたすらに念仏を修する浄土宗の教えは人々に受け入れられその教勢を広げていきます。 危機感を持った旧仏教の僧侶たちによって弾圧が行われ「念仏停止(ちょうじ)」の命令が出されます。罪なき身にもかかわらず聖人は越後に配流されます。 その地においてそれまで仏法に帰依する者のタブーとされてきた「妻帯」を行います。肉を喰らい妻を娶ってもなお成仏させて頂ける身であることを身をもって顕しました。 『自らの念仏によって往生を得る』という教えをより一歩深め、『往生はすでに阿弥陀仏によって約束されたもの、念仏は報恩感謝のほかの何ものでもない』と手段の念仏ではなく結果の念仏であることを広めました。

佛光寺派の末寺では本堂の中央、阿弥陀仏の宮殿の右脇に 少し濃い眉にすぼめた口の親鸞聖人の御影(ごえい)像が配されています。